企画展の案内 

ニッカウィスキー創設者 NHK朝ドラ「マッサン」のモデル

「竹鶴政孝とリタ」展 →チラシがPDFで開きます。 

2015年3月15日をもちまして、終了しました。

次回の企画展のお知らせは近日Upします。

 

(チラシには、12月12日まで開催としていますが、3月17日まで会期延長でしております。)

9月29日〜3月17日まで 黒字の日が9:00〜17:00オープンしています。

2015年2月 2015年3月
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                             ごあいさつ                                                                                                                                            

     この度、2014年度特別企画展として、「竹鶴政孝とリタ」展を開催する運びとなりました。ニッカウヰスキー(株)創業者の「竹鶴政孝」と、スコットランドから遥か遠い日本にやってきた政孝の妻「リタ」に焦点をあてます。

     「桃山学院で、なぜ竹鶴政孝とリタの展示をするの?」と思われる方も多いのではないかと思います。その理由を知っていただくことが、今回の展示の目的の一つです。

     かつて、桃山学院高等学校の化学科の教師の間で、「伝説的」に語られている一人の教師がいました。その教師が竹鶴政孝でした。なぜ「伝説的」に語り継がれるようになったのでしょうか。その理由は、竹鶴政孝が在籍していたことを証明する資料が桃山学院には何一つ残っていないからだと思われます。桃山学院中学校の資料は、大阪大空襲の被災により、その大変が焼失してしまいました。

     1968年5月に『日本経済新聞』に、次のような文章が掲載されました。  

   それからしばらく浪人生活をした。大正11年(1922年)から12年(1923年)の初めにかけての数カ月間だったが、私にとってはウィスキーづくりを離れた一生で一度の生活だった。    

   その間は学校の先生をした。帝塚山近くにイングランド出身の牧師、ローリング氏が校長をされていた桃山中学があった。妻のリタが、ローリング夫人と親しく交際していたため、失業を心配されて私を桃山中学の化学の教師に採用されたのである。    

    一方、妻のリタも帝塚山学院で英語を教えるかたわら、英語やピアノの個人教授まで頼まれると引き受けていた。

 (竹鶴政孝「私の履歴書」『日本経済新聞』1968年5月)  

    この竹鶴による証言からもわかるように、僅かな期間ではありましたが、竹鶴は確かに桃山中学校の教師をしていたのです。そして、この文章が、竹鶴が桃山中学校で教師をしていたということを証明する唯一の根拠となっています。

   竹鶴政孝とリタをモデルにしたNHK連続テレビ小説「マッサン」が、2014年9月29日(月)から始まりました。この機に、桃山学院と竹鶴政孝・リタの関係を学院教職員・学生に知っていただくため、今回の展示を企画いたしました。学院史料室が所蔵する資料が中心となりますが、ぜひ観覧いただければ幸いです。 

   なお、帝塚山学院から最近発見された竹鶴リタに関する貴重な資料を寄贈していただきました。こちらの資料も展示させていただいております。この場を借りてお礼申し上げます。

2014年9月29日 桃山学院史料室