2016年3月、本学にて名誉博士学位を授与
「まさか、自分が?」。それが、素直な感想です。今でもそうだと思いますが、桃山学院大学は、とても開かれた大学です。そんな恵まれた環境のもと、僕自身も早々に海外に飛び出し、アジアでの音楽活動など、さまざまな経験を積んできました。そうした体験をもとに、現在は「音楽で自分ができることをしよう」と世界中で活動しているわけですが、それを母校も応援してくれていると感じて、本当にうれしいですね。身に余る光栄で心から感謝しています。
桃山学院大学は「自由と愛の精神」を掲げておられますが、当時も本当に自由でした。入学から1年は、体育会のゴルフ部でひたすら先輩たちのバッグ持ち。こうした経験は、実はとてもためになる社会学なんですね。先輩との距離の取り方を学んだり、社会に出たときに役立つ貴重な体験をすることができました。その後は音楽の方に傾倒していきましたが、桃山学院大学は常に心のなかで強く意識していましたね。ミュージシャン仲間にも結構後輩がいるんです。皆、得意分野がはっきりしていて、そうした気質が育まれるのは個性が尊重される自由な桃山学院大学だからこそ。社会に出てから、つくづく実感しています。
今も昔も、少なからず“不本意入学”の大学生がいると聞きました。われわれの世代は、いわゆる“団塊の世代”。とにかく同年代の人口が爆発的に多かったために、物心ついた時から競争、競争で生きてきました。他人より大きい会社に入ってより高い給料を得て…。それが、みんなの目標でした。そのために団塊の世代は、僕を含めて「子どもたちにはそんな競争はさせたくない」と考え、必要以上に大事に育て過ぎてきたように思います。今思えば、消極的な若者は自分たちの世代が生み出したのかもしれませんね。
ただ、そういった学生も、ある体験をきっかけにガラッと変わることがあると思います。僕もアリスの結成前に、武者修行と称してアメリカツアーを敢行しました。その経験によってプロの道に進むことを決めたのですが、僕の若い頃って、アメリカツアーも含めて結構無茶をしているんです。「とにかくアメリカに行こう!」って日本を飛び出して。そうすると、言葉なんて全然通じないのに、困っていると助けてくれる人に出会うんですよ。そこで、人のやさしさが本当に心にしみて涙を流す経験をする。そのことで、心から人に感謝する気持ちを学ぶことができるわけです。アリスを結成したのも、そんな人のあたたかさに音楽で恩返しをしたいという想いからでした。学生の頃はすべてが漠然としていて、おそらく明確な将来像を描けずに、何となく自分たちの未来に不安を持っている人がほとんどではないでしょうか。でも、僕のように人生の価値観が大きく変わるような出来事に遭遇すると、将来の指針のようなものが芽生えてくるんだと思います。そういった“スイッチ”を若者に与えてあげること。それが、われわれ大人が果たすべき役割なのではないかと思います。あとは、彼らがそれをどう活かすか…ですから。
今から12年前、コンサートで国内外の様々な場所を回ってとても忙しくしていた時期、身体に帯状発疹が出来て、病院に行く時間もなくステージに立っていました。55歳のときだったのですが、そのとき家内に「今のような歌の届け方だけが、あなたの生き方ではないのかもしれないね」と言われて、ハッとしました。僕にはとても衝撃的な言葉で、素直にそうかもしれないと。それがきっかけとなり、生き方をもう一度確認するために、2003年に活動を全部白紙にしました。ちょうどそんなとき、中国にある上海音楽学院から常任教授の就任依頼を頂いたんです。「音楽で何を伝えるのか。その心が大事だ」という、音楽に対する考え方が一致したこともあり、中国で教壇に立つことになりました。そこで僕が提案したのは、「ベートーベンやモーツァルトになろう!」ということ。それはつまり、作詞作曲をしてオリジナルの楽曲を創るということだったのです。全員で70名ほどの生徒で、詩を書いた経験のある人は皆無に等しく、最初はほとんどがキョトンとしていました。それでも、課題を与えると、独創的な詩を生み出してくれる学生が1~2名はいます。彼らから刺激を受けて、他の学生も意欲的になり、詞の次はメロディ、演奏と続き、3年目位でオリジナル楽曲でのコンサートが開けるようになりました。
これは大学教育にも当てはまることで、先生が一方的に教えるのではなく、先生と生徒が互いに教え合い刺激し合う関係。教える側は教えているようで、実は教えられているんですね。教え授けると書く“教授”ではなく、共に授け合う“共授”。それを上海音楽学院で気づき、本当に感動したわけです。そんな上海での経験を、日本の子どもたちにも伝えたい。中国の若者に向かって話したことを、きちんと話す機会を持ちたい。そう考えて始めたのが『ココロの学校』でした。
今の日本は物質的にはとても恵まれています。そうした環境から得られるものは、実は少ないのではないでしょうか。昔、カンボジアの難民キャンプに、アリスで支援コンサートに行ったことがありました。そのときに、ぬかるみにタイヤがはまって動けなくなった僕たちのトラックを、キャンプの子どもたちがみんなで押してくれたんです。それだけで「何時間もかけてもここに来てよかった」と感動しました。そのあと、ニュースでその場所が爆撃されたことを知って、ものすごくショックを受けました。「自分たちはなんて無力なんだ」と。それからは、肩肘張らずに活動しようと考えるように。あくまで自然体で、すべての人にやわらかい心で接すると、相手の心も喜びで満たされる。そんな気持ちでいま音楽活動を続けています。『ココロの学校』には、子どもから大人まで幅広い方が集まってくれますが、「一緒に歌ってみましょうか」と言うと、すぐに声を出してくれるのは子どもたち。それから大人の女性で、大人の男性は一番最後(笑)。男性の場合、社会にしばられている方が多いのか、なかなか心をオープンにできない傾向があります。それでも丁寧に接していると、声を出してくれるようになり、最後は歌っているご自身に驚かれたりする。そんな自分が変わる経験をしていただければ、コンサートは成功だと考えています。
アリスが日本でヒットした後は中国に行き、僕はソロになってからもアジアの国々を訪れ続けました。結果として、20年間にわたって海外で活動することに。ただ、アジアへの一歩を踏み出した頃は、誰もが欧米ばかりを向いてアジアに背を向けていた時代。でも欧米の人から見れば、みんな同じアジアン。そんなことからこの20年間、国を超えて人種や民族、宗教も関係なく、フラットに仲間とステージを一緒に創ってきました。その経験は、自分のなかではすごく大きいものになっています。今は世界の状況も大きく変わり、日本の見え方は国や地域によって実にさまざま。そんな時代だからこそ、日本人が本来持っている心の豊かさを、もう一度見つめなおすことが大切だと感じます。
最近では、たくさんの外国人観光客の方が日本を訪れていますが、私たち日本人が気づかない“居心地のよさ”を感じて来られているのだと思います。そんな日本のよさって、これまで誰も教えてくれなかったんですよ。僕たち日本人のDNAに脈々と受け継がれている大切なこと、たおやかさや大らかさ、真面目さなどはもっと誇りにして良いと思うんです。桃山学院大学の特別講義でも、こうした自分たちが当たり前だと思っていること、そんな部分を改めて感じてもらえればと思っています。
僕は学生時代、大人から諭されると反発するタイプでした(笑)。ですので、今の学生にこうしてほしいという要望はありません。ただ、自分の心が何に喜ぶのか、自身の心の声に耳を澄ませてほしいと思いますね。僕の特別講義にも、学生だけでなく卒業生、教職員の方々にも参加していただき、年齢を問わず地域に開かれたオープンなものにしていければと考えています。自由な大学、桃山学院大学だからこそ実現できる、そんな生涯学習の場をつくりたいと思っています。定型にはめ込まないのが僕のポリシー。そうした意味では、まさに桃山学院大学のあり方と同じだと感じます。50年、100年後の母校が、どのように変化し発展しているのかが楽しみです。