桃大だからできた猛勉強で、 IT時代を先駆ける。

私は高校時代に、大阪大会で個人優勝するほど弓道に熱中し、当時から弓道部が強かった桃大へ入学しました。弓道の練習と授業で時間のゆとりがなかったので、アルバイトは学内で、大学の電算機センター(現・情報センター)で募集されるSAINTスタッフとして、パソコンを使う授業で学生の補助員を務めていました。その学内アルバイトこそが、現在へとつながるきっかけです。スタッフとしての技術力アップを図るために関連書籍を図書館で取り寄せてもらい、コンピュータプログラミングを猛勉強。自分で高額なサーバーも購入するほどでした。当時はそれほど普及していなかったインターネットも、大学の設備が充実していたおかげで活用でき、勉強に役立てることができました。

就職活動をする頃には自分でホームページをつくれるまでに技術力がアップし、採用試験を受けたプロバイダ会社から「すぐにでも来てほしい」と。すでに私は卒業単位をすべて修得していたので、その翌週から正社員として働きはじめました。技術を開発し、モノをつくるプロとしての人生が、卒業前に突然はじまったのです。約半年後には会社の経営状況が悪化。しかしまたしても幸運なことに、その会社と関連のあった大手のプロバイダ会社に採用してもらい、卒業のタイミングで再就職。今度は営業職を経験しながらも、再び「技術」が恋しくなってきた頃、あるゲームソフト会社がオンラインゲームの開発に乗り出し、その技術スタッフとして転職。まだ20代だったのですが、プログラムチームのマ ネージャーに抜擢され、人気ゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズ初のオンラインゲーム開発に携わることができました。そして2006年に独立し、アクティエージェントを立ち上げました。

独立、そしてVRと運命の出会い。

独立当初はまだ世の中にVRはなく、会社の業務内容はIT総合サービス業。和泉市の企業にパソコンの導入・設定をしたり、プログラムをつくったり。また社長として地元の商工会やライオンズクラブ、日本商工会議所にも所属し、全国の社長との交流にも力を入れていました。そんなときに沖縄で出会ったのがVR(バーチャル・リアリティ)。上下左右360度で撮影された動画を専用の機器で再生することで、自身も360度のその風景を視聴でき、あたかもその場にいるかのように、現実のように体験できる技術です。当時はまだパソコンとビューア(視聴装置)が線でつながっていて、画質も低く、ビジネスチャンスは大きなものではありませんでしたが、私の中に電流が走りました。「もし、自分のスマートフォンをビューアにして、誰もが手軽にVRを楽しめたら」。意外と雨の多い沖縄では、観光客が悪天候に見舞われることも多い。そんなときの不快な思いをやわらげ、ふたたび沖縄に来てもらえるように、美しい沖縄の風景をVRで体験してもらえたら面白いのではないだろうかと。私はそれまでの事業をすべて売却し、VRに賭けることにしました。

スマホで手軽に、本格的にVR。
その未来を、この手でつくる。

VR専用のカメラ、動画を編集・加工するソフト、動画を配信するサービス、高画質な動画を臨場感たっぷりに体験するためのビューアとレンズ。それぞれの開発に一から取り組みました。その方面に詳しい知人から知識を得たり、専門技術を持つ業者を訪ねたり。 試行錯誤、大きな苦労を重ねてノウハウを蓄積して特許も多数取得し、VRのハードもソフトもすべてを一社で担う技術力を、日本ではじめて実現しました。ビューアはプラスチックや金属等様々な素材でつくれますが、現在、普及しつつあるのは紙のビューアです。低コストで製作、供給することができ、軽い、かさばらない。ノベルティとして配布することもできます。素材は紙でも、VRに没入できるデザインとレンズで大好評を得ています。すでに地方自治体では観光誘致のVRコンテンツが数多くつくられ、アイドルグループのライブをVRで楽しめるコラボ企画ではコンビニで販売し、CDが売れない時代にあって約1万個も売れました。現在、世界中で使われているスマートフォンは約60億台。スマートフォンで手軽にVRを楽しめるようになった今、市場規模はテレビやラジオといったメジャーな媒体をしのぐ規模でふくらむと考えています。その用途は、VRがあれば発売前の自動車に乗れる、住宅探しで事前に住み心地を体験できる、結婚式等大切なイベントでは欠席者にもすべてを見てもらえる…等、可能性は広がるばかりです。これから刻まれていくVRの歴史において、「あのとき、藤田がつくったからこれがある」といわれるような未来を、私はつくっていきたいと思います。

(※この内容は2017年12月取材時のものです。)