大学に通いながら、「よしもと」にも通った。

中村翔はいま、テレビ番組を見る人から、テレビ番組をつくる人へと変わろうとしている。
大阪で生まれ育ち、小さい頃からお笑い番組が好きで、「いつかこんな番組をつくってみたい」と夢
見ていた。彼がテレビ番組の制作を意識したのは大学に入学するよりもっと前、中学生の頃だ。「誰が見てもクスっとなるような、とにかく見たら面白い番組。テレビに関わらずいろんなプラットフォームを駆使していきたい」。

大学で学びながら、彼は大学3年次に吉本興業が運営している"よしもとクリエイティブカレッジ(以降、YCC)"に通いはじめる。「企画を考えるときは会議をしてアイデアを出しあい、まとめていく。けれど単に面白さだけを突き詰めてしまうと、視聴者に楽しいものではなく不快を届けることにもなりかねない。ギリギリのラインを狙うのが面白みであり、難しいところ」。学生から社会人まで、幅広い年代が学ぶ空間。自分とは違う価値観を持った仲間と議論を重ねることで、思考の幅が広がったと自身を分析する。

世界で通用するお笑いコンテンツを発信したい。

教育分野にも興味があり、エンタメ業界が駄目なら学校の先生をめざそうとも考えていた中村だが、YCCに通ったことで、迷いが吹っ切れたという。中学生からめざしていたお笑いの仕事。興味があった教員への道。「自分は何者になりたいのだろうか」。
就活がスタートするギリギリまで悩んだが、いましかできないこと、本当に好きなことにチャレンジしようと決意を固めた。

YCCに通っていた同期60人の多くが、吉本興業を受験した。入社試験が進むにつれ、ひとり、またひとりと減っていく。ついに中村の前に見たかった光景が広がった。憧れていた吉本興業に内定が決まったのだ。「逆境に強いことが自分の武器だと思う」。中村は穏やかに語りはじめた。やさしい表情の下には、お笑いコンテンツを通して、視聴者に元気を届けたいという強い意志が感じられる。

「せっかく国際教養学部に通ったのだから、世界に通じる番組もつくってみたい。大阪の笑いが、どこまでいけるかやってみたい」。遠くない未来。人気プロデューサーになった彼がどんな笑いを届けてくれるのか、目が離せない。

(※この内容は2017年12月取材時のものです。)