- 名前
- 永井 啓登
- 学科
- 社会学科
- 出身高校
- 広島県立安芸府中高校
サッカーからアナウンサー志望に
アナウンサー志望を意識し始めたのは中学3年の時です。サッカーに打ち込んでいた私は、大きな怪我をしてしまいました。医師からは「選手としてサッカーを続けるのは無理」と言い渡され、悔しくて大泣きしたことを覚えています。何をしたらいいのかわからなくなり、サッカーと距離を置いていた時、監督から「選手ではなくてもサッカーと関わる方法はある」と助言され、トレーナーや通訳、(戦術の)分析など、いろいろ考えました。そんな時、小学6年で出場した県大会決勝の実況放送で、「永井がいいクロスを上げる」とアナウンスしてもらって嬉しかったことを思い出し、サッカーの実況を担当するアナウンサーが目標になりました。テレビで自分の活躍が映し出されたことがとても嬉しくて、今でも鮮明に覚えています。
14年間のサッカー人生で悩み苦しむ経験をたくさんしてきました。そんな私だからこそ選手に密着し、試合中のプレーだけではなく、計り知れない陰の努力や苦悩の部分、現場でしか目にできないことを取材して視聴者の方々に伝えたいです。
地域に親しまれる放送局
1953年に青森県のラジオ民間放送局としてスタートした青森放送は、「県民の、県民による、県民のための放送」を掲げ、地域に根差したニュース取材・番組づくり・コンテンツ制作を行ってきました。「県民とともに、県民のために」を社是にした青森放送のサービスは、テレビの視聴率26年連続三冠という結果に。これからも地域のためになる情報を提供し、より地域に親しまれ、愛されるテレビ局を目指し、私も貢献していきたいと思います。
私はアナウンサーとして、ラジオやテレビでニュース原稿を読むだけではなく、番組の進行役や、リポーター、スポーツ実況、イベント司会など色々な仕事があります。 また番組の企画・収録・編集をすべてアナウンサーが行うこともあります。幅広いジャンルでアナウンススキルを磨いていきます。
高校サッカーの中継を
青森放送を選んだ理由は二つあります。一つ目は、日本テレビ系列の放送局に入社して高校サッカーの実況を担当し、試合の主役だけでなくスポーツの裏側も伝えたかったからです。4歳から18歳までサッカーをプレーし、小学生の頃から高校サッカーを観戦していました。その大会後に放送される「最後のロッカールーム」という番組が大好きなんです。選手がどれだけの想いを試合に懸けていたのか、努力を最大限に発揮しても届かなかった夢。普段は厳しい監督に労いの言葉をかけられ、選手の目から溢れる涙を見て、私も泣いています。
二つ目は、小学6年の時、全日本少年サッカー大会広島県決勝で、「永井がいいクロスをあげる!」と実況して頂いたように、次は私が頑張る選手を声で応援し、名場面と共に、人の記憶に残るような言葉を紡ぎます。
青森放送で、高校サッカーの実況を担当し、選手の『熱い』想いをそのままに、『魂』込めて届けます!そして、永井に実況をしてもらいたい、永井を見たら元気になると思われるような県民に愛されるアナウンサーを目指します!
家族と友人に感謝
就職活動では、バイタリティーを全面に出していました。「なんでもまずやってみよう」の精神でどんなことにも果敢に挑戦してきたということを強調しました。
家族や友人のサポートも大きかったです。家族には約一年半、アナウンススクールに通わせてもらいました。友人には、テレビ局に提出する写真や自己PR動画の撮影を1年間ずっと手伝ってきてもらいました。時には日を跨いで撮影することもありましたが、何ひとつ文句を言わず協力してくれました。僕らの合言葉は「就活は二人三脚」。どんな壁にぶつかってもお互いに鼓舞をしあって二人で乗り越えてきました。そんな彼の支えがあったおかげでアナウンサーになるという夢を叶えることができました。
キャリアセンターからのサポート
個別担当制で一人の職員がずっとサポートしてくれるキャリアセンターにはお世話になりました。「アナウンサーになれなかったらどうしよう」と正直に不安を打ち明けたら、「いろんな仕事があるから、大丈夫。もしアナウンサーがダメだったらいっしょに考えよう」と言っていただいて気が楽になり、アナウンサー就活に全力投球することが出来ました。
学業ではマスメディア系の授業、ゼミで研究したことは就職活動において活きたと思います。また、フットサルサークルに所属していました。本格的なチームだったので大会にも出場し、そこでチームワークや忍耐力をつけられたと思います。
後輩の皆さんは、就活では辛い時や不安なこともあると思います。でも、そう思うのは当たり前です。だからこそ、周りの同期の就活生と支え合いながら「最後まで絶対に諦めない心」を持って夢を叶えて欲しいです。
(この内容は2025年2月取材時のものです)