「第8回桃山学院大学図書館書評賞」受賞者 <2013年12月4日発表>


第8回桃山学院大学図書館書評賞には42篇の応募作品が寄せられました。 図書館書評賞選考委員会で審査した結果、下記の通り受賞作が決定しましたので発表いたします。
受賞作品は、1月中旬に図書館内で発表いたします。

受賞作一覧はこちら。
最優秀書評賞 該当作品なし
優秀書評賞 該当作品なし
佳   作 東  穂高 (経営学部4年次生)
池上 彰 『世界を変えた10人の女性:お茶の水女子大学特別講義』
文藝春秋  2013年




総合講評

図書館長 法学部教授 瀧澤 仁唱

 本を読めば、今まで自分の知らなかった先人の知恵を簡単に自分のものにできる。これは今さら言うまでもない、昔から言い古された言葉である。後世の者は、先人の知恵を基にして未来を見ることができるから、先人の犯した失敗をせずに進んでいくことができるはずである。「錬金術」では金(きん)が作れない、つまり化学合成では元素である金を作れないというのは、「錬金術師」たちの数限りない多くの失敗から生み出された知識である。だから、後世の者は「錬金術」など信じない。後世の者は、先人の肩の上にのって未来を見ることができるから、先人の知識を無駄にしないために本を読む。
 しかし、本をただ読んでいればそれで済むわけではない。上で「失敗をせずに進んでいくことができるはずである」と書いたように、先人の知恵に学んだはずの後世の者が数限りない失敗をしてきたことも事実である。本をただ無批判に読むだけではそこから得られる知識は発展しない。間違った内容の本を信じて行動すれば大きな災いをもたらす。それも多くの歴史が示してきた。個人の過ちなら大した被害がでないが、それが政治につながるととんでもないことになる。だから本の内容の丸飲みは危険である。
その本の内容がどういうものであり、さらにより良いものにするには、批評が必要である。それには本の内容を自分なりに咀嚼し、それを基に批判を加える必要がある。本の内容把握と的確な批判が書評には絶対に必要で、それが学問の発展につながる。その批判は、昨今ネットに頻繁に見られるような、揶揄や揚げ足取りであってならないのはもちろんである。批判と揶揄・おちゃらかしを同じものと考える者がいるので念のため述べておく。
 高校までは「生徒」(ドイツ語でいうとSchüler(in))と呼ばれるが、大学以上の「学生」(同じくStudent(in))との違いは何か。生徒が「学ぶ」者であるのに対し、学生は「研究する」者であることである。「学ぶ」の語源は「マネブ」で、一説によればひたすらまねることである。「研究」には学んだ上で、疑うという視点、すなわち批判の視点が必要である。本の内容の咀嚼の上に、その内容を検討・批判し、それをより良い内容にしていくための記述が書評である。重ねていうが、本の内容の紹介だけでは書評にならず、その紹介を基に自分の感想を書くだけでは感想文にすぎず、その本の内容を批判・検討してより良い本の内容にするための文章が書評である。
 我々図書館委員は寄せられた書評を少なくとも以上のような視点からそれぞれ検討した。以下、やや辛口な表現を御寛恕いただくとして総合講評を述べる。応募された「書評」の多くは本の紹介に過ぎなかったり、単なる感想文であったりした。一応書評といえそうなものについては、いやな表現だが、ネット社会で横行している剽窃はないか、その「書評」の内容を点検した。これは図書館事務課員の点検作業によるところが大きい。最終選考では、応募された「書評」とその本の内容を逐一照らし合わせ、内容が妥当かどうか図書館委員が点検し、授賞すべきかどうか検討した。
 今年の書評応募点数は42であり昨年の47よりさらに減った。しかも、入選は残念ながら佳作1点のみの惨憺たる結果に終わった。選考にあたった図書館委員の意見をおおまかにまとめれば、書評の域に達していないものがほとんどであったということである。本の内容をただまとめただけの「感想文」が多く、とうてい書評にはなっていないものが多かった。いちおう書評になっていると思って、その本を読んで、書評になっているか子細に検討してみると、はじめの章だけ読んで書評を書いているとしか思えないものがあり、最終選考からその「書評」をはずしたこともある。正直いってもう少し「歯ごたえ」のある書評があるかと思ったが、残念ながら一つもなかった。
 佳作となった池上彰『お茶の水女子大学特別講義 世界を変えた10人の女性』(文藝春秋、2013年)が今年度唯一の佳作となった。同書の内容は手際よく紹介されていたけれども、「書評」としては残念ながら佳作の水準にとどまった。文節文頭の一マスがあいていないなど、文章作法の問題には目をつぶらざるをえない部分もあり、表現方法を含め、評者の今後の精進を切にお願いするしだいである。
 最後に来年度からの書評賞の応募者の変更について述べておく。来年度は、書評賞の応募者に学生(大学院生を除く)に加えて聴講生および市民利用者も含めることにした。より多数の方々が応募しやすいようにしたのである。しかし、これはある意味で「賭け」である。なぜなら、学生以外の応募者が優秀作となり、学生の書評が排除されうる可能性がないとは言えないからである。例えとしては適切さを欠くかもしれないが、ラグビーの学生王者と社会人王者が最後に日本一を競うために毎年闘ったけれども、社会人王者が圧倒的に強くて試合にならなくなり、決定戦方式を変えざるをえなかったことが私の頭をよぎる。学生の優秀選手から選抜された者が社会人チームにどんどんたまっていくから、社会人王者のチームが勝つのは目にみえていた。社会人や聴講生ばかりが入選して学生が書評賞から排除されてしまうことが危惧される。そのようなことがないようにするためには、書評を書く際に教員がどう指導しうるかも問題になってくる。リベラルアーツとしての側面を強くもっているからこそ、書評のもつ意味が大きいことも銘記すべきである。


第8回の応募要項はこちら





≪≪過去の書評賞≫≫

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