「第11回桃山学院大学図書館書評賞」受賞者 <2016年12月2日発表>


第11回桃山学院大学図書館書評賞には25篇の応募作品が寄せられました。 図書館書評賞選考委員会で審査した結果、下記の通り受賞作が決定しましたので発表いたします。
受賞作品は、1月中旬に図書館内で発表いたします。

受賞作一覧はこちら。
最優秀書評賞 該当作品なし
優秀書評賞 和田  竜征 (国際教養学部4年次生)
田中 辰雄,  山口 真一 『ネット炎上の研究 : 誰があおり、どう対処するのか』
勁草書房 2016年
佳   作 白草  友希 (社会学部3年次生)
鴻上 尚史 『クール・ジャパン!? : 外国人が見たニッポン』
講談社 2015年




総合講評

図書館長 国際教養学部 国松 夏紀

2006年度創設の「桃山学院大学図書館書評賞」、本2016年数えて11回目、例年通り4月末(5月連休前)に募集を開始し、夏季休暇明け9月末に締め切り25編の応募を得た。これは第2回(2007年)の140編や第3回(2008年)121編に比べれば遥かに及ばず、寂しい限りであるが、昨年49編、一昨年39編と比べてもなお一層寂しさは募るばかりである。 さらに加えて25編中9編が指定書式等の不適合で審査対象外となったのは残念なことである。「40字×50行」とか「初版出版後5年以内」といったルールに従うことは基本的要件となる。その上で「書評賞応募要項」に従い次の3項目が要件となる。
@(書評対象本の)内容の要約または概要。
A(書評対象本の)良い点や悪い点の明示、それに対するコメント。
B文章の読み易さ、表記、文章構成の適切さ。
さらに、筆者が個人的に考える良き書評の要件は、その本を読もうという意欲を掻き立てること。判りやすく言えば、図書館に走らせる書評を良しとする。しかし完璧な書評は逆に読む意欲を減退させるというジレンマがある。そこで、適切な例とは言えないが、犯人を明示しないことは推理小説の評の不文律になる。
閑話休題。上記要件を判断基準として25編中16編が第一次審査を通過し、さらに検討・検認作業を重ね、優秀書評賞1編、佳作1編を選んだ。最優秀書評賞は、残念ながら今年も該当作なしであった。ちなみに、審査委員会は、筆者を含め5学部から各1名の委員で構成されている。
なお、佳作については2編を候補作としたが、その内1編は最終的な検認作業の結果、「コピペ(剽窃)」と判明し、審査対象外とした。

優秀賞を受けるのは、国際教養学部4回生、和田竜征さん、書評対象本は、田中辰雄、山口真一(共著)、『ネット炎上の研究:誰があおり、どう対処するのか』(勁草書房、2016)である。巷間でとかく取り沙汰される「ネット炎上」に関するこの本格的研究について、審査委員の一人は次のようなコメントを寄せている。
本書の特色は事例研究を踏まえた定量分析であり、そのためのアンケート調査である。

≪学術論文として読むと、専門分野が異なるためか、知識不足を脇に置くとしても事象やアンケートの扱い方等消化できない点が多かった。
例えば、ネット炎上を引き起こした者がアンケートに素直に答えるのかにつき、ネットで他人の言葉等を虚偽と批難しているのだから嘘はつかないだろうという前提を立てているが、その理由が客観的且つ合理的に信頼できるものかにつき説明をしていない。ネット炎上に関するデータを元に、ネット利用者における炎上惹起者の存在比率を割り出した試みには一定の評価がされるべきだが、そのデータについてもより広範に集積を行い、データ解析方法についても検証・再構築する必要があるように考える。
また、過去の現実社会における暴動とネットで生じた暴動との類似性について述べているが、そこに類似性があると納得するまでには至らなかった。
対して、教育に携わる者として一番有用だと思われるものは、本書末尾に付録として収録されている「炎上リテラシー教育のひな形」である。若年者へのインターネットリテラシー教育をする上で1つの参考資料となるであろう。≫

コメント前半は専ら著者たちへの注文であるが、書評者にも考慮してもらいたいところでもある。
また後半の「過去の現実社会における暴動」とは、第6章炎上の歴史的理解で論じられている、近代化3段階説の一環である。軍事革命による国家化、産業革命による産業化、情報革命による情報化。それぞれの段階で軍事力、産業力、情報力の濫用が生じる。炎上は情報力の濫用とする見解である。
この、読み方によっては最も重要な、文明論的理解を、書評がフォローしそこねたのは残念なところである。
しかし、その他は万遍無く内容を把握し、巻末の「炎上リテラシー教育のひな型」についての評価に至っている。
もっとも本書の構成は整然たるもので、要約・紹介の便宜が良い。はじめに、章立て、付録、参考文献、索引という構成。取り分け、各章ごとに要約とまとめが付いている丁寧さである。(いささか繰り返しが多いという印象にもなるのだが)いずれにしても、文献引用処理の方法も含めて、論文等執筆のひな型としても有用である。

さて、佳作は、社会学部3回生、白草友希さん、書評対象本は、鴻上尚史(著)『クール・ジャパン:外国人が見たニッポン』(講談社現代新書、2015)である。
一見すると、流行のクール・ジャパン カタログのようなものに思われるかもしれない。実際、テレビ番組を「元ネタ」にしていることもあって、そういったバラエティ的要素がない訳ではない。しかし、さすが鴻上と言おうか、著者の本意はもう少し深いところにあるようだ。少し長くなるが、審査委員の一人から寄せられたコメントを紹介しよう。

≪(1)評者の本文献理解はおおむね正当と認められる。
(2)本文献の優れた点の要約も、ほぼ妥当と考えられる。
(3)本書は手軽に読みやすい。いってみれば、いわゆる英語「多読本」の低い階梯シリーズの一冊のようなものである。もちろん、自分の「読解力」にあった本を読むことは悪いことではない。しかし、それで満足するようであれば、読書の魅力は発展し得ないだろう。多読本も、獲得した語彙の乏しい者のためにリライトされたもので満足するのでなく、やがてはオリジナルの英文を味読するためであればこそ意義があるのではないか。とすれば、こうしたたぐいの本の書評に求められることは何だろうか。
テレビ番組をもとネタに、あれこれの生活事象をいくつかの国の出身者と議論し合うところに本書の中心と「読ませる」ところがあるのは書評者の指摘の通りである。しかし、ここで書評者にまさに批評的に考えてほしかったのは、この「読ませる」ところは著者が本当に主張したいところだったのか、あるいは本当に「読ませる」内容を持ったものなのか、という点である。
この書評者が全く言及していないのが、「第三章 日本は世間でできている」である。たしかに、著者の鴻上自身が、このテーマは別の著作で書いているところなので、「飛ばしてかまわない」と述べている。だが、ここで述べられている、日本型の雇用制度や「世間」論にこそ、一見外国とかなり違う日本の生活風景あるいは「クール・ジャパン」の根っこを見る際の著者の視点があると思われる。書評の終わり近くで、鴻上の議論の「内容は個人的には日本人である私の考えと少しずれている事も多かった」と、「同じ」日本人なのに違っている、ずれていることへの疑問が呈されている。この疑問はまさに第三章に関係していることであり、鴻上の「世間」論をどう考えるかによって「ずれ」に対する評価も異なってくるのではないだろうか。
また、部分的には書評でも捉えられているが、著者は国家の売り込み戦略としての「クール・ジャパン」には強い批判を有している。それは「エピローグ」でかなり突っ込んで書かれている。そして、「最後に」では、「クール・ジャパン」事象を「日本人として誇りを持てた」式で捉えることに、「無気力肯定」本を展開するビジネスと重ね合わせて、強い違和感を表明している。ここには、一書の大部分をリーダブルで「心地よい」「クール・ジャパン」事象をあげつらって読者の購買意欲をかき立てる出版戦略と矛盾するかのような著者の「本音」が垣間見えている。 まさに、こうした「多読本」が読まれ、それが批評されるとすれば、それは表象的記述の背後に隠れた著者の意図、あるいは著者自身もまだ漠然として明確な輪郭をもたないかもしれない思想をつかみ出し、より深層に向かう読書の発展方向を示すことであってほしい。それは、例えば、鴻上の基礎的視点である阿部謹也氏の「世間」論や日本型「終身」雇用の虚実を深めるような読書への示唆がのぞまれるところである。さもなければ、鴻上の心配通りの「無気力肯定」読書の「感想文」に過ぎないものに終わるからである。≫

書評者の白草さんには勿論このコメントを踏まえて、もう一度鴻上の『クール・ジャパン』を読み直して欲しいし、出来れば書評そのものを書き直してみて下さい。そしてまたこれらの応答をトータルにフォローする奇特な読者が出現することを待望するものです。


第11回の応募要項はこちら





≪≪過去の書評賞≫≫

     第1回     第2回     第3回     第4回     第5回

     第6回     第7回     第8回     第9回     第10回