テキスト ボックス: C.M.ウィリアムズ師と米国聖公会
 
 1859年、日本が開国となって最初に来日した宣教師は米国聖公会のJ.リギンズ師であり、少し遅れてC.M.ウイリアムズ師が長崎に着いた。
 二人は同じ神学校を終え中国各地を伝道していた。リギンズ師は病気静養のための来日であったが、キリスト教新教最初の宣教師となった。ウイリアムズ師はキリスト教禁制下の長崎で日本語の学習をし、英語教授をしながら時を待った。既に心は大阪に移ることを決めていた。
テキスト ボックス: ウイリアムズ師は大阪に居住した最初の宣教師であり、1868年11月には住む場所を探すため大阪に来ていた。翌年、日本人の協力を得て雑居地の与力町に住居を得た。新島襄は1874年、アメリカから帰国すると、翌年与力町のゴードン師宅に寄寓する。与力町は元船番所の武士たちが住んだ所で、元屋敷の写真が残っている。ウイリアムズ師も同じような建物に居住したと考えられる。同年、小礼拝堂(ミッション・チャペル)を開き、英語礼拝を始めた。1870年には最初の堅信式を行っている。1871年、A.R.モリスが来阪。翌年の初め、古川町(ストリート・チャペル)に私塾と診療所のための家屋を入手、英語塾を始める。その後、1872年にC.D.B.ミラー師とJ.H.クインビー師、1873年にH.ラニング師、1874年にE.G.エディー、1878年にT.S.チング師が次々と大阪に着任した。
なお、後任の宣教師を得たウィリアムズ師は1873年、東京に移り、新たな伝道を始めた。立教学院の創立が日が近づいてきた。
米国聖公会は大阪、東京を拠点として伝道を開始し、現在の京都教区、北関東教区、東北教区などへ活動を展開していった。

テキスト ボックス: C. M. ウィリアムズ師
 
  ※川口基督教会所蔵

                       
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