テキスト ボックス: 聖バルナバ病院                            次へ 目次へ
 (雑居地、居留地7・8番)
1872年の初め、米国聖公会は古川町に私塾と診療所のための家屋を入手したが、中国伝道を経験した宣教師たちはキリスト教の伝道のために、英語教育と医療活動が必要であることを感じていた。
1873年7月に来阪したH.ラニング師は半年後、与力町のミッション
・チャペルに診療所を開設。1874年に梅本町、1875年には古川町のストリート・チャペルに移転した。また、1877年には「米国伝道会社施療院」の看板を掲げ、日本人に対する治療を始めた。また、診療所を旧船番所に増設、二ヵ所で2,500名以上の患者を治療した。
1883年8月、川口居留地8番に聖バルナバ病院新築落成した。この病院は完全看護であり、外科手術も行った。ラニング師は経済的に恵まれない人には診察料を減額したり、災害などの救援活動などを行った。
1908年、大阪市の道路拡張政策により、旧居留地8番の敷地を大阪市に譲渡、翌年、隣の旧川口居留地7番に新築落成をする。その後、1913年にはH.ラニングが帰国した。そして、1928年、現在の天王寺区細工谷に移転した。

テキスト ボックス: 聖バルナバ病院(居留地8番)  
※『SOM』より