<2015年度9月卒業証書・学位記授与式 式辞>
皆さん、ご卒業おめでとうございます。桃山学院大学の教員と職員を代表いたしまして、心よりお祝いを申し上げます。また、この晴れの日をともにお迎えのご家族の皆様にもお慶びを申し上げたいと思います。今日ここに、学位を取得される方は114名おられます。桃山学院大学は今年で大学開学56年を迎えましたが、卒業生総数は、68473名となりました。68000名となりますと、日本ばかりでなく様々な世界で活躍する桃山卒業生の姿をみることができます。かつて本学に在籍されていた歌手の谷村新司さんと、過日二度ほどお話をする機会を得ました。どんなお人柄なのか大いに興味がありました。実際にお話してみますと、幅の広い深みのあるお話をされる方で、コスモロジー(宇宙学)まで勉強されているのには驚かされました。谷村さんは日本ばかりでなく、アメリカ、イギリス、フランス、オーストリアをはじめとする欧米や、ベトナム、韓国、中国などのアジア各国で活躍され、本学が目指す「世界の市民」その人です。そればかりでなく東日本大震災の被災地でのコンサートを催し、被災者の支援活動にも力を尽くしておられます。そんな谷村さんが2007年より「ココロの学校」をスタートさせています。その基本コンセプトは「『強いられる勉強』ではなく『自らが望んで学ぶ』ための場所を創りたい」との想いから始められたそうです。
谷村さんのこうした生き様は、本学が建学の精神として標榜する「自由と愛」の精神そのものといってよいでしょう。「自由」とはひとりひとりの人格と主体性を尊重すること、「愛」とは互いに仕えあいながら他者と共生すること。音楽を通じて社会に尽くす姿は正に「愛」の精神であり、自発的に学ぶ場所を創りたいというコンセプトは、主体性を尊重するという「自由」の精神そのものです。
そもそも建学の精神でいう「自由」とは何でしょうか? フランス人権宣言第4条は「自由とは、他人を害さないすべてをなしうることにある」とうたっています。近代立憲主義を支えている基本概念としての自由は、公権力による束縛や抑制からの解放を意味するものですが、こうした意味での「自由」の概念は日本の歴史的伝統にはありませんでした。江戸末期から明治初期にかけて、欧米から持ち込まれた「リバティ」(liberty)、「フリーダム」(freedom)をどのように訳すかに頭を悩ますことになります。翻訳にあたって最も大きな影響力を与えたのが福澤諭吉であります。諭吉は、当初、「御免」という字を当てるのですが、「上位の意味が濃すぎる」という理由で、「自由」という言葉を使うことにしたのです。
しかし、この「自由」という言葉は、古来仏教用語で「好き勝手や自由気まま」
を意味することから、翻訳にあたって、諭吉が強調したのは、自由とは「好き勝手や他者を害して私利を求めるものでない」。人々が相互に妨げあってはならない意味なのだ、とわざわざ断っています。自由の概念にはこうした「制限がないこと」という意味のさらに根源に、言葉本来の意味である「自からに由る」という意味があります。今日、人権概念の基礎を成す「人格的自律権」ないし「自己決定権」という言葉で言い表されるものです。谷村さんの「自らが望んで学ぶ」や建学の精神である「主体性の尊重」という意味での「自由」にこそ自由の核心的な意味があるのです。しかしながら、その自由はときに諭吉のいう「好き勝手や私利」に走らないとも限りません。こうした自由のもつ闇雲なエネルギーに「方向づけ」を与えるのが「愛の精神」です。「愛」は自由の暗闇に光をもって導くものといえましょう。その精神は「互いに仕えあいながら他者と共生すること」にあります。建学の理念に即した桃山スピリットとはこうした「自由と愛」の精神を持ち、社会に立ち向かうことなのです。
さて、卒業する皆さんに、私からの最後の言葉としてお伝えしたいことは、「一生涯学び続けて下さい!」ということです。ここでいう「学ぶ」ということは、知識を蓄えるということではありません。フランスの哲学者ロラン・バルトは「無知とは知識の欠如ではなく、知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることができなくなった状態を言う」と述べています。自説に固執する余り、他者の意見をくみとらない不寛容な人間になってはなりません。学ぶとは、自分の中に他者を受け容れ、自分の知的枠組みそのものを作り変える「知の自己刷新」(内田樹)にあります。「学び」とは他者への知的尊敬を踏まえて他者を受け入れることです。この精神を忘れることがなければ、皆さんはいずれ大きな大きな人間へと成長してゆくことになるでしょう。地位や名誉を求めるのではなく、視野の広い、心の深い、尊敬される人間になることを目指してください。「自由」と「愛」と「学び」、この3つの精神を心に刻み、自信と誇りをもって社会にチャレンジしてください。これから社会に旅立つみなさんの前途が実り豊かで、悔いのない人生であることを祈念して、私の式辞といたします。