- 名前
- ヴォルコゴノフ慈真
- 学部
- 交換留学生/国際教養学部 国際教養学科
- 所属
- 真言宗如願寺 副住職(大阪市平野区)

「日本の仏教は平和的です」。ロシア極東・ウラジオストク市出身で、本学に交換留学生として在籍したこともある僧侶、ヴォルコゴノフ慈真さんは、大阪市平野区の真言宗如願寺の副住職を務め、仏教の教えを説く傍ら、宿坊での写経や茶道、書道の体験などを通じて、日本文化を内外の老若男女に伝えています。生粋のロシア人が日本文化に魅せられ、真言宗御室派(総本山・仁和寺)では初の外国人僧侶になるまでの歩みと、僧侶としての取り組みをうかがいました。
合気道がきっかけで日本に関心
中学生のとき、合気道に出会いました。相手の力を使う合気道の精神に魅せられ、日本語を勉強するようになりました。合気道の団体で、姉妹都市の新潟市に冬に遠征し、雪の白さ(ロシアの雪は排気ガスなどのために汚いのです)など町の美しさ、食事の美味しさに感銘を受けました。父は博物館の学芸員、母は大学でクラシックバレエを教える教員で、私も文系の方が向いていると感じていたので、ウラジオストク市の極東連邦総合大学で日本史を専攻しました。大学4年のとき、協定校である桃山学院大学に交換留学生としてやってきました。

合気道がきっかけで、日本に興味を持ったヴォルコゴノフさん。
その後、日本語を勉強し、桃山学院大学の交換留学生として来日されました。
関西弁に戸惑い
最初は関西弁が聞き取れず、困りました。「4年間も日本語を勉強したのに…」と落ち込みました。ただ、桃大での留学が始まる前に日本各地を観光した際、富士山で知り合ったご夫婦がたまたま桃大の近くに住んでおられたこともあり、留学中よく自宅に招いてもらいました。そのほかにも、住吉大社へ初もうでに連れて行ってもらったりと、日本語や日本文化に触れる機会をたくさん作ってくださり、大変お世話になりました。
留学直後の秋学期は、出来るだけ多くの講義を受講するようにしました。その中でも、先日私もゲスト講師を務めた小池誠教授の授業「文化人類学」が最も印象に残っています。留学の後半は関西弁にも慣れ、あべのキューズモールの洋食店で配膳や注文取りのアルバイトをしました。貴重な体験でした。部活では合気道部に入り、師範の斎藤先生に大変お世話になりました。今も斎藤先生が大阪市内で開いておられる道場に通っています。

取材の日は、留学中に受講していた「文化人類学」の講義に、ゲストスピーカーとして登壇。
唐から重要な経典を多数持ち帰って高野山を開き、三筆として書道でも高名な弘法大師空海に関心を抱き、卒業論文では空海について研究しました。卒業後は40日ほどかけて、四国88か所霊場のお遍路を歩きました。
観光ガイドとして運命の出会い
時間に縛られるサラリーマンにはなりたくなかったので、日本語を生かす仕事としてフリーの観光ガイド・通訳として働きました。フリーは経済的に不安定ですが、経済関係の会議での通訳やソチ五輪の仕事など、様々な挑戦が出来ました。
妻の奈央子とは、彼女が日本の旅行会社の添乗員として観光客をウラジオストクに連れてきた際、私が現地のガイドを務めたことがきっかけで知り合いました。私が「真言宗が好きなんだ」と話すと、奈央子は「私は真言宗の住職の娘よ」と。すぐに意気投合しました。これは正しく、お大師さん(空海)のお導きですね。
結婚式は私が四国お遍路の途中、泊めていただき大変お世話になった足摺岬の第38番札所・金剛福寺で行うことを提案し、両家の家族が参列するなか、2015年に結婚式をあげました。

大学卒業後、四国88か所霊場のお遍路を歩いた。
義父の思わぬ提案
結婚後はロシアで夫婦ともに暮らすつもりでした。妻は私の実家に住み始め、ロシア語の勉強と在留手続きをしていました。ところが妻の父(如願寺住職)が突然「お坊さんにならないか?」と。真言宗が好きと言っても、それまでは僧侶になることなどまったく考えていませんでしたが、「僧になれるんだ!」と、すぐに決断しました。私の両親は驚いたようでしたが、日本好き、仏教好きであることを知っていたので、快く認めてくれました。当時は、ウラジオストクから毎日飛行機が日本に飛んでいて、日本が遠いという印象がなかったことも良かったのでしょう。
結婚翌年には再来日し、総本山の仁和寺(京都市)での1年間の修行が始まりました。長時間の正座は足が痛みますし、食事はおかゆなどの粗食、広い建物の掃除など辛いことも多いのですが、「誰もが入ることを許されるわけではない、伝統あるお堂の掃除ができることは幸せ」と考え、ときどき差し入れでいただく、どら焼きや缶コーヒーが(それまでなら気にも留めなかったはずなのに)最高においしいと感じるなど、見方・考え方を変えることが出来ました。

結婚後、如願寺住職の義父の勧めもあり僧侶の道へ。
京都市内の仁和寺で1年間の修行に臨んだ。
新しい挑戦
如願寺は大きくはありませんが、聖徳太子が創建したと伝わり、平安時代前期の作とされる本尊など、大阪府、大阪市の登録有形文化財に指定された仏像がある、由緒のある寺です。日々のお勤め(勤行)や檀家さんの月参り、お盆やお彼岸などは、住職と私の二人で行い、義母が境内の建物で陶芸教室を開き、妻はホームページやお墓の管理を担当しています。
私が寺の仕事に慣れ始めたころ、住職から「何か新しいことを始めたらどうか」と提案されました。私も妻も観光ガイドや添乗員として旅行関係の仕事をした経験があるので、宿坊を始めることにしました。2018年、境内にあった空き家を使って始めたところ、たくさんの方が来られるので、2021年に新しい宿坊「すばる庵」を建てました。「すばる」は義母が長年やっている陶芸教室の名前です。キッチン付きの広い部屋が3室で、15人ほど宿泊が可能です。日本文化や寺を体験したい外国人の宿泊が多いですが、日本人の方にも宿泊いただいています。
宿泊中には、瞑想やお勤め(お経)、写経、茶道などの体験(私は、書道と茶道の師範の資格を持っています)をしてもらい、義母と妻の手作りの精進料理もお出ししています。

茶道の師範でもあるヴォルコゴノフさん。
「如願寺に宿泊いただいたお客様は、茶道も体験できますよ。」
仏教の素晴らしさを
私はロシア正教の洗礼を受けましたが、仏教の僧になる前から「様々な生き方を認め、どんな時代でも通じる素晴らしい教えを持つ」仏教に魅力を感じていました。仏教は、平和に暮らしていくにはどうしたら良いかを教えてくれる宗教ですので、お寺での体験を通じて、多くの方に仏教を感じていただきたいと思います。写経をした方から「心が落ち着きました」というお手紙をいただくこともあります。
3人の子ども(8歳男児、6歳女児、3歳男児)にも恵まれました。今は、「お寺がいま生きている人のために出来ることがあればいいな」と願って、日々のお勤めや宿坊の運営に取り組んでいきます。

これからも、ひとりの僧侶として、仏教の素晴らしさを広げていきたいです。
【真言宗如願寺】
大阪市平野区喜連6-1-38
https://www.nyoganji.com/
(※この内容は2025年8月取材時のものです。)