日本語教師としてタイに赴任していた溝上怜菜さんは新型コロナによるパンデミックで帰国を余儀なくされました。大阪・関西万博のゲストサービスアテンダントに応募し、26倍とされる難関を突破。開催期間中は、大阪湾・夢洲の万博会場で来場客の案内、通訳、熱中症になった人の救護、トラブル対応など、多忙で刺激的な日々を過ごしました。これまでも、そしてこれからも新たな挑戦を続ける溝上さんに話を聞きました。

桃大で過ごした「全力投球」の4年間

桃大での4年間は、勉強に、部活に全力を注ぎました。
所属していた国際教養学部では、日本語教員の資格を取得するため日本語教授法を中心に学んでいました。加えて国際センターが実施する日本語教育実習プログラムを使い、実際に海外協定大学で日本語を勉強している学生に対して授業を行ったりしていました。在学中は、日本語教員資格課程の友沢教授(当時。現在は名誉教授)に大変お世話になり、無事に資格を取得できました。

日本語教員資格を取得するうえでお世話になった友沢教授(現:名誉教授)

部活動では、4年間ハンドボール部にマネージャーとして所属し、在学期間中は部員と共に寮に住み、正に「ハンドボール中心」の生活でした。用具の準備やスケジュール管理といった、マネージャーとしての通常の仕事だけでなく、トレーニング方法やテーピング技術も学び、更には選手やコーチのメンタルサポートまで「できることは何でもしよう」と全力投球しました。リーグ戦では大阪体育大学に次ぐ2位でしたが、関西の新人戦では優勝できました。
当時、ハンドボール部の監督で大変お世話になった金さんとは、韓国へ戻られた今も交流が続いています。

マネージャーとして4年間活動したハンドボール部。

タイで日本語教師

大学を卒業後は、国際交流基金の「日本語パートナーズ」に応募し合格しました。日本語パートナーズは、青年海外協力隊のような制度でASEAN(東南アジア諸国連合)へ日本語教師として派遣されます。国内で実施された事前研修の後、タイ最北部のチェンライという都市の中高一貫校に赴任しました。大きな都市ですが、日本人はほとんどいません。そんな環境ですから、「日本が好きで日本語を学ぼうとする生徒」にとって、初めて会う日本人が私な訳です。私が嫌われたら、日本が好きという気持ちもなくなるかもしれません。「私は、彼らにとって日本代表なんだ。」と思い、何事も気を抜かずに、人間関係を大切にするようにしました。

タイで過ごした4年半。日本語や日本文化の魅力を現地の学生たちに伝え続けた。

日本語パートナーズの任期は1年でしたが、いったん帰国した後、現地採用の日本語教師として再びチェンライに戻り、合計で4年半をタイで過ごしました。周囲に日本人がいなかったことやタイが親日国ということもあってか、学校の他の先生や町のお店の人、更には空港の職員にも名前を覚えられ、日本へ帰国するたびに空港で「レイナ、また日本へ帰るの?」と声をかけられるほどになりました。ところが世界中で猛威を振るった新型コロナウイルスにより、そんな生活は一変しました。2020年3月、日本大使館から「(日本へ帰国できる)最後の飛行機に乗りますか」と、突然の問い合わせ。泣く泣く、日本に帰国しました。

※日本語パートナーズ・・・国際交流基金が実施するプログラム。アジアの中学校・高校等の日本語教師や生徒のパートナーとして、日本語授業のサポートや日本文化の紹介等を行う。
《日本語パートナーズ(国際交流基金)》 https://asiawa.jpf.go.jp/partners/

世界的イベントに貢献

帰国後は、日本語教員や日本語パートナーズでの経験を生かした活動をしていましたが、心の中には常に「海外に戻りたい」という気持ちがありました。しかし、なかなか新型コロナによる海外渡航の制限が解除されず、気づけば3年半の月日が経っていました。
そんな折、大阪・関西万博(以下、万博)のゲストサービスアテンダントの募集がありました。万博における最初のスタッフ公募です。約16,000人が受け、倍率は26倍と報道されていました。
仕事は案内所で来場客からの相談やトラブル対応など様々です。万博内の情報だけでなく、外国人のお客さんからは「この後、大阪観光したいのだけど、どこがお勧めですか」など大阪全体の情報をお伝えすることも大切です。タイ語ができるスタッフは少ないので、タイのパビリオンで通訳が必要な時は私が駆け付けます。
万博という世界的イベントにスタッフとして参画でき、興奮の毎日でした。地元・大阪にいろいろな国の方が訪れ、大阪にいながら世界旅行している気分です。多くの来場者に「来てよかった」と言葉をかけていただき、私たちスタッフも遣り甲斐を感じながら日々、仕事をしていました。

取材中、来場者に声を掛けられるシーンも。
ひとりでも多く「来てよかった」と思ってもらいたい、という溝上さんの姿勢を感じる接客だった。

熱中症、迷子、トラブル対応も

迷子、傷病者対応なども重要です。特に今年の夏は猛暑日が続き、会場内で熱中症の症状を訴える方が少なくありませんでした。
他にも、パビリオンの予約方法が理解できなかった外国人の来場者からは「日本が好きで、万博が楽しみで来日したのに、ショックだ」とお叱りを受けることもありました。そんな時は、予約なしでも楽しめるところを紹介し、少しでも良い印象を持って帰ってもらえるように努力しましたが、スマホなどのデジタル技術が普及していく過渡期だから、こういった問題が起こるのかもしれません。
トラブルといえば、当時のニュースでも大きく報じられましたが、大阪メトロのトラブルで帰宅困難になったお客さんたちが一晩、会場内で過ごしたことがありました(8月13日)。一部で情報伝達の不十分さなどが批判されましたが、実は多くのお客さんは非日常の体験を楽しんでおられ、私たちに直接苦情を言われる方はほとんどおられませんでした。

開催期間中、毎日がワクワクと興奮に満ちていました。

再び海外へ

半年間の開催期間を経て10月13日、無事に大阪・関西万博は閉幕、私もゲストサービスアテンダントとしての仕事を無事に終えることができました。今後は、もう一度日本語教師をする予定です。コロナ禍の期間も、ボランティアに参加するなどして、国際交流基金とのつながりは保っていたのです。新天地で、今度は万博での経験も生かしながら日本語や日本の魅力を海外の子どもたちや日本語学習者の皆さんに伝えていきたいと思っています。
人生は、様々な人やことのめぐり合わせの連続だと思います。桃大の4年間で全力を注いだハンドボールや日本語教員資格の取得、タイでの日本語教師そして万博のスタッフ。改めて考えると、その一つひとつが奇跡の連続で、その度にチャンスを逃さずに全力投球してきました。

人生は一度きり。これからも刺激を求めて、全てのことに100%の力で挑戦し続けていきたいです。

笑顔と活気が印象的な溝上さん。
これからも、100%の力で挑み続ける人生は続く。


(※この内容は2025年10月取材時のものです。)

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