テキスト ボックス: 桃山学院と大阪聖三一神学校
  (居留地12番、居留地23番/居留地3番、居留地18番)
  プール学院誕生の歴史から続く。信徒子弟の男子は永生学校(のちの永生女学校、プール学院)で共学が許されていたが、1884年になると認められなくなった。宣教師たちは真剣な協議を経て、男子のための学校、三一小学校の開校を決議した。9月3日、川口居留地12番の聖三一教会裏手の教室で開業式が行われ、翌日から授業は開始された。
 ワレン師は1882年から神学教育を自宅で開始した。1884年9月29日、川口居留地18番に煉瓦造り二階建の三一神学校が開校した。
 宣教師たちは二つの学校を繋ぐ学校の開設を早くも検討し、1886年にはセイロン(現スリランカ)の三一大学校校長であったT.ダン師を迎え、新しい学校の準備を始めた。
1890年1月、大阪市西区江戸堀南通5丁目の仮校舎で高等英学校が開校。翌年1月、東成郡 天王寺村(通称桃山)に新築移転となる。校長はH.McC.E.プライス師が就任した。
  1895年、桃山学院と校名を改称し、1902年には大阪で最初の私立桃山中学校として認可を受け開校した。生徒数の増加により、1912年、東成郡田辺村(現大阪市阿倍野区昭和町)に移転した。
 大阪三一神学校は1904年に専門学校令による学校となったが、1915年、聖公会神学院に合併し今日に至っている。

テキスト ボックス: 大阪三一神学校(右、居留地18番) 
※『大阪と博覧会』より
 
 
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