しかし、1887年に日本聖公会が組織成立すると、狭い川口居留地にあった英米ミッションの教会と学校は整理されることになり、英和学舎は立教大学校に合併されることになった。

 

 

 

テキスト ボックス:   立教学院                    
 (雑居地/北区上福島村、西区江戸堀、居留地21番)
 立教学院創立の地は東京と大阪の二ヵ所にあった。立教学校が東京築地居留地または周辺のどこで開校となったかは分かっていない。今も調査は続いている。一方、大阪の聖提摩太学校が開校した場所も同様に確認できない。
 C.M.ウイリアムズ師が大阪で最初に居住した場所は雑居地の与力町であり、A.R.モリス師が学校と診察所のために借りた家屋は古川町である。いずれも、特定することはできない。3ページの地図から二カ所の建物は近かったことは分かる。
モリス師が1872年の初め、古川町に私塾と診療所のための家屋
を入手して英語塾を始めた。1873年3月には英語塾を聖提摩太学校と命名した。1874年、モリス師の後任としてクインビー師が校長になったが、官立学校の発展などもあり、翌年には生徒数が減少し、1876年6月には、とうとう廃校になった。
 1878年末に来阪したT.S.チング師は学校の再開に力を注ぎ、1879年秋、北区上福島村に英和学舎を開校した。翌年には風雲館という学校と合併して江戸堀北通に移転している。さらに、1881年8月、川口居留地21番(現川口基督教会)に新築、10月に開校になった。
 英和学舎は同盟休校などの問題もあったが、天文学・生理学・論理学・歴史学・本草学など高度な学問を教授し、元田作之進や大塚惟明などの人材を輩出した。
しかし、1887年に日本聖公会が組織成立すると、狭い川口居留地にあった英米ミッションの教会と学校は整理されることになり、英和学舎は立教大学校に合併されることになった。
 
 
 

テキスト ボックス: 英和学舎と付属礼拝堂(居留地21番) 
※『SOM』より
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