桃山学院の歴史 B

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川口居留地 ・桃山学院の誕生

川口居留地

 

錦絵に描かれた川居留地 
 *『上方』第99号より

1858年、日米修好通商条約の締結。
その後、英国など5カ国と条約を結ぶ。
大阪は
18689月に開港 となり、川口居留地が外国人に競売された。

 最初は外国商人が期待して殺到し たが、まもなく神戸に移動。
その後に宣教師が入ってきた。ワレン師もその一人であった。
居留地はキリスト教伝道の拠点となった。

 

  

居留地のワレン師宅

桃山学院の誕生

信者子弟の男子は永生学校(のちの永生女学校、プール学院)で共学が許されていたが、
1884年になると認められなくなった。宣教師たちは男子のための学校を開校することを決断した。

93日に開業式、翌日から授業は開始され、
大阪川口居留地
12番にあった聖三一教会裏の日曜学校で使用された教室で行われた。
同年
929日、居留地18番に三一神学校が開校した。

 

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