学校法人桃山学院桃山学院創立125周年、桃山学院大学開学50周年 記念事業125th / 50th St.Andrew's

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桃山人の集い

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第2回  澤井 光造さん (桃山中学校第22期生)

 

2007年10月9日(火)、旧制桃山中学校卒業生(第22期)の澤井光造さんに

インタビューを行いました。澤井さんは1907年生まれで御年100歳(採録時)。

桃山中学校在学時(1919〜1924)の思い出などを語っていただきました。

 

 

 

ローリングス先生の思い出

 

 

1918年(大正7年)から1932年(昭和7年)までの長きに亘り校長を勤められたローリングス先生の在任中のお話をお聞かせいただきました。

 

「ローリングス校長先生が直接生徒に英語を教えられていました。特に英語の発音を熱心に教えていただきました」
「ローリングス校長先生はスピーチが上手な方で、朝礼で5分くらい話されることがあり上手いものでした。もちろん日本語です。大阪の校長会でも有名だったようです」
「ローリングス校長先生の自宅にも2度ほど伺ったことがあります。帝塚山にあり、今で言う大豪邸でした」

 

ローリングス校長には2男1女の子供がおり、ご息女は後にイギリスで女優として活躍したマーガレット・ローリングスさん(故人)。マーガレットさんについて澤井さんにお話を伺いました。

 

「ローリングス校長先生の家に行ったときに娘さんがおられました。後で女優になったと聞いています」
「数回英国に旅行したことがありますが、マーガレットさんに会いに行きたいと思ったことがありました。80歳を超えたぐらいの時です。教育というものは尊いものだと思います。100歳になった今でも、頭の中に当時のことを覚えています」

 

 

英語の桃山

 

  桃山学院は英語の学校を起源にしています。旧制桃山中学校でも英語の授業が他の学校に比べて多く、熱心に教えていたと語られました。

 

「リーダー専門の先生、グラマー専門の先生と5、6人英語の先生がいました。皆さん優秀な先生で、熱心に教えてくれました」
「英語の先生の息子が同級生にいて、父親に怒られて泣くようなこともありました」
「文法の先生で飯牟礼先生という人がおられて、授業で指されたときに『今英国にいるかと思ったぞ!!』と英語の発音を褒められたことがありました」
「『Heaven helps those who help themselves(天は自ら助くるものを助く)』と、教わった言葉は今でも良く覚えています。下手の横好きと言いますか、日本語を英語にして話すのが好きでした。好きなことは頭に入って来ます」

 

澤井さんは桃山中学校を卒業すると千葉の高等園芸学校(現在の千葉大学園芸学部)に進まれました。

 

「当時、英語で有名な学校と言えば桃山でした。関西学院も有名でした」
「先生に講義で指されて答えると『桃山出身といったら相当英語が達者な筈だが、澤井君はそうでもないな』とからかわれました」

 

  母校で。そしてお別れ

 

  中学校に作業課の講師として招かれたお話を伺いました。

 

「大阪でシクラメンの栽培をしてました。浜寺公園などに花を売りに行くと、そこでローリングス夫妻に出会いました」
「『先生、お久しぶりです』と英語で声をかけましたら、『おお、卒業生だな!』と気付かれました」
「桃山中学校で作業課の講師を探しているということで、一気に採用が決まりました」
 

ローリングス校長は1933年(昭和8年)に天に召されました。澤井さんはその葬儀で棺を担いだことをお話になられました。

 

「私も含めて6人で棺を担ぎました。外国人墓地に棺をおさめた後、皆で土を入れました。」

                                        ローリングス校長


 

桃山中学校の思い出、殊にローリング校長との思い出を饒舌に語っていただきました。
今でも中・高同窓会の総会にはお一人で出向かれるとのこと。
 「毎年参加するのが楽しみなんです」
 

『記念事業報』創刊号(2008年1月25日発行)メモリアルインタビューより

 

 

  追記:「歴史的な出会い」

   −G.W.ローリングス元校長のひ孫と澤井光造さん−

 

 

『記念事業報』創刊号(2008年1月25日発行)で、澤井光造(桃中第22期)さんのインタビュー記事を掲載しました。澤井さんはG.W.ローリングス(G.W.Rawlings)元桃山中学校長の思い出を熱く語っておられましたが、発行日の1月25日(金)に澤井さんがローリングス元校長のひ孫カミラ・サッキさんと面会するという「歴史的な出会い」がありました。


カミラ・サッキさんはローリングス家の歴史を執筆中で、G.W.ローリングスの資料を調べるため来日されました。桃山学院に到着後、冨田敏之高等学校長と面会の後、学院史料室に移動。保存している関係資料、特にローリングス元校長の写真を複写して提供しました。


澤井光造さんからG.W.ローリングス元校長の子孫に会いたいということを聞いていましたので、連絡を入れました。
昼すぎ、澤井光造さんと娘の澤井陸子さんが到着。ローリングス元校長のひ孫と教え子との「歴史的な出会い」が実現しました。この時、澤井さんは101歳になっておられました。
澤井さんはローリングス元校長との思い出を、一所懸命カミラさんに伝えようと、なかなか出てこない英語を身体中から引っ張りだすようにして話しておられました。


しかし、別れの時が来ました。この「歴史的な出会い」があって、カミラさんの眼から幾筋もの涙が流れ落ちるのを見ました。
ローリングス元校長には三人のお子さんがいました。一人目がシャーリー、二人目がマーガレット、三人目がジェラルドです。カミラさんはマーガレットのお孫さんにあたります。マーガレットは英国で有名な女優でした。また、ジェラルドは天文家として知られていました。

(桃山学院史料室/西口忠)

 

 

 

 

澤井光造さん(左端)とカミラ・サッキさん(右端)

桃山学院史料室(昭和町)にて

 

 

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