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第5回 穴田 昭男さん
(元大学職員) |
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2008年6月11日(水)、元大学職員の穴田昭男さんにインタビューを行いました。
穴田さんは、大学開学直前の1959年1月に入職され、42年間奉職されました。
大学の黎明期を語っていただきました。
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桃山学院へ入職されたきっかけ
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1958年に大学を卒業しました。当時は不況の時代で、印刷会社で働いていました。そんな時、大学時代のゼミの教官から「桃山学院で大学を創る計画があるので、働いてみないか」と話があり、面接を受け翌59年1月に入職しました。
開学が間近で、大学事務の経験者も少なくて4月までの3ヶ月間はとにかく大忙しでした。
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大学開学式(1959年4月15日)の様子
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凄かったの一語ですね。キリスト教新教渡来100周年ということもあって、海外からカンタベリー大主教をはじめ、偉い方が大勢やって来る。一期生は桃高から進学した学生が多かったんですが、こんな大きな式典は経験したことがない。感激もひとしおだったでしょうね。

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当時の学生の様子
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一期生たちは手探りで自治会やクラブを立ち上げ、活動を始めました。とにかく新しい大学を創るんだという意気込みが強く、教職員も一緒になって参加しました。
当時は施設不足が深刻で、体育の授業は金岡(堺市)の体育館まで行って実技を受けていました。それでも課外活動は強かったんです。重量挙げはほったて小屋、アーチェリーはB館裏の狭いところで練習していました。施設が無い中で、学生たちがよく頑張ったと思います。
自動車部は1959年の伊勢湾台風、1964年の新潟地震のとき、救援物資を運んで行きました。
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大学の基礎づくりをサポート、「友の会」 |
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学生会の発足と同時期に、「友の会」(現教育後援会)という組織が発足しました。大学は出来たけれども、お金もないし、PTAのような組織もなかったので、物心両面で大学を育てていこうと、父母だけではなく賛同してくれる人たち皆で組織したんです。地方にも出向いて、保護者に学生の成績とか学生生活の状況を説明する場を作っていただきました
。 今考えてみても、当時の大学としてはとてもユニークな組織であると思います。
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