第15回 『好みで満ちてゆく社会 聴く・遊ぶ・愛でる・移動する文化の社会学』
木島由晶(社会学部社会学科 教授)

私たちの生活は、音楽やゲーム、アニメなど自分が好きなもので溢れています。近年はアイドルや俳優などを応援する「推し活」も盛んです。社会学部の木島由晶教授は、このような社会についてさまざまな調査法で分析し、『好みで満ちてゆく社会 聴く・遊ぶ・愛でる・移動する文化の社会学』(勁草書房)を出版しました。本書について木島教授に聞きました。
■昭和の終わりから令和にかけての文化的生活の変容を描く
木島先生は2025年12月に『好みで満ちてゆく社会 聴く・遊ぶ・愛でる・移動する文化の社会学』(勁草書房)を刊行されました。本書を出版することになった経緯をお聞かせください。
かつては「文化」というと、文学や思想、芸術のように、身につけるべき教養という意味合いが強かったと思います。若者文化を考える上でも、文学は大きな位置を占めていました。ところが、1970年代後半から80年代にかけて、その中心が少しずつ広がっていきます。大衆的な音楽やマンガ、アニメ、ゲームが若者の文化的生活の中で大きな位置を占めるようになりました。
文芸評論や思想の領域でも、マンガ、歌謡曲、広告といった広い意味での「サブカルチャー」が論じられ、村上春樹のような作家も、従来の純文学とは異なる文体や世界観をもつ「ポップ文学」の流れのなかで語られることがありました。こうした文学とポピュラー文化の接点は、のちのライトノベルやキャラクター小説を考えるうえでも一つの補助線になります。
文化は教養として身につけるものから、生活を満たす娯楽へと変わり、人びとは身近なメディアや商業空間を通じて自分の好みを日常的に選び、組み合わせるようになりました。また、アニメやゲームに没頭するような「オタク文化」は、以前は子どもっぽい趣味と見られがちでしたが、現在では多くの人の生活の一部になっています。
このような変化を、本書では「好みで満ちてゆく社会」と表現しました。メディアや消費の場を通じて、自分にとって楽しいものや心地よいものを選び、日常を組み立てていくその実践が1980年代以降の文化的生活を大きく形づくるようになったのです。その変化を社会学的な見取り図として整理したいと思ったことが、本書をまとめた大きな理由です。

インタビューに答える木島由晶教授
本書は、「聴く」「遊ぶ」「愛でる」「移動する」の4つを分析対象にされています。その狙いを教えてください。
本書では、この4つの中でも「聴く」と「遊ぶ」、つまり、音楽とビデオゲームを中心的なポピュラー文化として取り上げています。本書の特徴は、なぜこれらを選んだのかというより、逆に、何を選ばなかったのかという観点からみるとわかりやすいと思います。具体的には、本書は映像鑑賞を中心にしてきたメディア文化論から少し距離を取った点に特徴があります。
たとえば、社会学的なメディア文化研究では、1980年代以降、テレビ番組や映画、ドラマ、CM、アニメなどの映像文化が非常に重要な対象で、映像をどのように見るのか、視聴者がどのように意味を読み取るのかが大きな問題関心となっています。しかし、私自身は、それらをどのように能動的に視聴するかという問題よりも、もう少し「行為」としての性格が強いポピュラー文化に注目したいと考えました。音楽ならただ聴くだけではなく、どこで、誰と、どう聴くのか。ゲームであれば画面を見るだけでなく、操作する過程が経験の中心になると捉えました。つまり本書の目的は、文化的な行為に着目した社会変容の記述にあります。
本書では青少年研究会の調査データなど、さまざまなデータを活用されています。対象を分析する上で、工夫したことや苦労したことをお聞かせください。
本書では、ポピュラー文化の作り手ではなく受け手を見ること、そして当事者目線だけではなく、観察者として見ることを意識しました。ポピュラー文化は、どうしても作り手や作品の側から語られやすいところがあります。音楽ならアーティストやジャンルの変遷、ゲームなら作品やデザインの話になりやすい。もちろんそれは重要です。ただ、私が社会学として考えたかったのは、それを人びとがどのように受け取り、生活の中でどう使い、どんな実践に変えているのかということでした。
また、ファン文化やオタク文化を語る時、当事者の一人称はとても大事です。好きな人でなければ分からない快楽や細部があるからです。ただ、それだけだと議論が内向きになったり、マクロな社会変化が見えにくくなったりすることもあります。ですから本書では、当事者の実感を否定するのではなく、それを観察者目線からも捉え直すことを意識しました。章によって方法は違いますが、アンケート調査や世論調査の量的なデータを扱う章もあれば、聞き取りやフィールドワークで得た質的な知見を扱う章もあります。共通するのは、個別の体験や印象だけでは見えない傾向を捉えようとしたことです。

ポピュラー文化の調査方法について語る木島教授
木島先生が、大学院生の頃にホストクラブに半年間勤めながら、その文化を研究されたことも記述され、体を張った調査に驚きました。
私の基本的な研究関心は、自分には理解しにくい他人の行動の動機を知ることです。水商売やホストの世界には、外からは見えにくい独特の習慣やルールがありますが、その中で、ホストクラブには、ホストがキャラクターを演じ、客がそれを消費する文化という側面があることが見えてきました。夜の仕事であるホストクラブのフィールドワークは、体力的にも若い時でなければできないですし、実際にその場で働きながら話を聞くことは、一つの研究方法だと考えました。
音楽やゲームなどの研究対象は、木島先生ご自身の「好きなもの」でもあるのでしょうか。
たしかに、私にとって音楽やゲームは身近な対象です。ただ、自分の好きなものを素朴に研究しているつもりはありません。私が大学院生の頃、自分の好きなものをそのまま分析することは「好きなもの分析」と呼ばれ、バカにされていました。「対象から距離が取れていない、ただ自分の趣味を語っているだけ」と見られやすかったのです。その結果、人びとの「好きなもの」を分析するからこそ、分析対象から意識的に距離を取る習慣が身についてしまいました。
もちろん、好きであることや、対象に惹かれる感覚がまったく不要だとは思いません。文化の面白さや快楽が分からなければ、なぜ人がそこに引きつけられるかも分からないからです。ただ、自分の好き嫌いをそのまま語ることと、人びとが好きなものを社会学的に研究することはまったく違います。本書では、人びとが好きなものとどう関わり、それが社会的な条件の中でどう形づくられていくかを考えたかったのです。

本書を刊行された後、どのような反響がありましたか。
いろいろな方から感想をいただきました。面白いのは、人によって注目するところがかなり違うことです。ある人は音楽の章に、また別の人はゲームやキャラクターの章に関心を持つ。スマートフォンやショッピングモールを扱った後半の議論が印象に残った、と言ってくださる方もいます。これは本書の構成とも関係しています。各章で扱う対象は違いますが、全体としては、昭和の終わりから令和にかけて文化的生活がどう変わってきたのかを描こうとしています。
その一方で、各章はそれぞれ単独でも読めるようにしています。学生さんには卒論やレポートの参考になるでしょうし、一般の読者にも、関心のある章から読んでもらえるとうれしいです。自分がふだん楽しんでいる文化やメディアの使い方が、少し違って見えてくる。そうした読み方をしてもらえたら、この本を書いた意味があると思います。
■好きなもので満ちあふれる社会は、幸せな社会と言える?
昨今は若者に限らず「推し活」が盛んです。「好き」を応援することの社会的な意義について、どのようにお考えでしょうか。
いわゆる「推し活」について、私は無条件に礼賛する立場ではありませんし、単純に批判すれば良いとも思っていません。社会学者としては、良い面と危うい面の両方が気になります。いずれにせよ、気をつけたいのは、「推し活」をすぐに「承認競争」や「マウント」の問題として語らないことです。ネット上では「現場」に行く、「ファンサ(ービス)」をもらうといった行為が可視化され、メディアはファン同士の競争に見える場面を取り上げがちですが、そうした場面から「推し活」全体を捉えるのは少し乱暴だと思います。
多くの人にとって大事なのは、応援する相手がいる、次の活動を楽しみにするといったファンと対象との関係そのものです。しかしその一方で、「推し活」は消費と無関係ではありません。応援することは、さまざまな商品やイベントの仕組みに接続され、そこにはお金も時間も掛かります。ですから、「推し活」の社会的意義を考える時には、対象との関係が日々の生活を支える場面と、その関係が消費の仕組みに組み込まれていく面を、分けて見ておく必要があります。
好きなもので満ちあふれる社会は、どこまで幸せな社会と言えるでしょうか。
好きなもので満ちあふれる社会は、ただ幸せな社会とも、ただ息苦しい社会とも言い切れません。好みは人を支えるものでもあり、同時に人を次へ次へと動かすものにもなる。その境目がどこにあるのかを、本書では具体的な文化実践の中から考えたいと思いました。
近年は、好みが満たされやすすぎることのしんどさが、かなり前面に出てきているように感じます。好きなものが手に入りやすくなるほど、それは一度満たされて終わるものではなく、次の更新を待ち、それに反応し、さらに次を探すものになっていく。楽しみが増えること自体は豊かさですが、その豊かさがいつまでも自分を動かし続ける仕組みにもなり得るのです。ここには依存的、あるいは強迫的になりやすい側面があります。
本書は、好きなものに囲まれることを否定しているわけではありません。それが生活を支えることは確かにあります。ただし、好きなものが次々に供給され、それに反応し続ける状態になると、好きなものに囲まれているのに満ち足りない、ということも起こりえます。生活を好みで埋め尽くさない「余白」を持てるかどうかが、現代の文化的生活を考えるうえで重要だと思います。

研究室で著書を手にする木島教授
■身近で社会の変化がよく表れるポピュラー文化
社会学の観点から、音楽やゲームなどポピュラー文化を研究する魅力をお聞かせください。
ポピュラー文化を研究する魅力は、身近でありつつ、社会の変化がよく表れるところにあります。たとえば、音楽をどう聴くかは、メディア環境と深く関わっています。レコードやCDを所有する時代、テレビやラジオで流行歌を共有する時代、サブスクリプションやプレイリストで個別に聴く時代では、同じ「音楽を聴く」でも経験の意味が変わります。メディア環境の変化や消費のあり方だけでなく、身体感覚や人間関係、自己理解の問題とも重なっています。身近な娯楽だからこそ、社会学的に重要な議論が見えやすいのです。
現在、取り組んでおられる研究を教えてください。
現在は、健康管理の娯楽化に関心を持っています。たとえば、睡眠や歩数、運動、食事といった健康に関わる行動が、アプリやゲームの仕組みを通じて、楽しみながら続けるものとして設計されるようになっています。健康管理の娯楽化には、楽しさや達成感を得る仕掛けがありますが、その一方で日々の行動や身体の状態が、記録し改善すべきものとして提示されるしんどさもあります。楽しさが入口になる一方で、続けること自体を求められるようにもなる。そのあたりを調査データに基づいて、丁寧に考えていきたいです。健康管理の娯楽化は、本書の問題関心を別の領域で考え直すための対象だと思っています。

プロフィール
きじま・よしまさ/1975年兵庫県生まれ。2006年大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。2025年4月から桃山学院大学社会学部社会学科教授。大学時代に山岳部に所属し、仲間から「面白い授業がある」と聞き受講した社会学部の「メディア文化論」の講義をきっかけに、経済学部から社会学部に転部した経験を持つ。社会学の観点から、音楽やゲームなどのポピュラー文化を研究している。2026年7月には、共編著『音楽社会学—統計データで読む現代人と音楽—』を新曜社から刊行。
