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2022.1.27
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秋学期終業感謝礼拝を執り行いました
1月24日(月)、和泉キャンパス 聖救主礼拝堂(チャペル)において2021年度秋学期終業感謝礼拝を執り行いました。
コロナ禍において秋学期の諸活動が行われたことに感謝し、新年度に向けて学生や教職員の安全を守り、豊かな成長のときとなることを祈りました。
また、宮嶋チャプレンよりメッセージをいただきました。

2021年秋学期 終業感謝礼拝 メッセージ(要旨)

クリスマス、そして新年、それは一年の終わりと新しい年の始まりでもあります。「終わりは次の始まり、そして次の始まりにも必ず終わりがある」私たちの人生はこの終わりと始まりの連続と言っても過言ではありません。先日この3月で卒業する予定の学生がチャペルを訪ねてくれて、就職先の報告やら、希望を語り合うことができました。新しい職場に対する希望や不安などが入り混じる時期です。

さて、イエスの仕事始め(宣教のはじめ)がどうだったかというと、ルカによる福音書の4章には、イエスは彼の故郷であるナザレの村のユダヤ教の会堂で神のすばらしい恵みの言葉を語ったとあります。これを聞いて、村人たちは「あの大工ヨセフの息子」がこんなに立派なことを言うとは、信じられない、本当にイエスなのか?」と疑います。さらに「預言者たちが行ったように病気の治癒などの奇跡を証拠として見せろ」とイエスに迫ります。そうなるとイエスも負けておれないのか「過去の偉大な預言者のエリヤやエリシャがしたように、えらそうな口を利くユダヤ人には、奇跡はただ一度も示さない。」と応じる。腹を立てたナザレの村人はイエスを会堂から追い出し、町はずれの崖から彼を突き落とそうとしました。

イエスの最初の宣教はこのようにして故郷の人々からは総スカンを食うようなものだったとルカは記しています。しかしそのことがあってか、イエスは、ユダヤ人中心ではなく、弱い立場に置かれた世界のすべての人々の友となる開かれた働きを実践しました。

桃山学院大学に学び、巣立っていく学生にとって桃山はどのような故郷として捉えられるのでしょうか。ここでの経験から世界へと目を開かれていくのか、人生の節目、節目に自分の成長を確認する場として戻ってくるような定点観測の場を提供するのか、また外国から留学してくる学生にとっては自分の第2の故郷として捉えてもらえるのだろうか。詰まるところ建学の精神で掲げる「世界の市民」の育成の礎となる故郷となることができるのだろうか。外国に出ていって働くだけでなく、日本に留まって働いたとしても「世界に開かれた視野、見えなくされている人々、叫びが聞かれない人々に、目、耳を傾ける人としてあり続ける」その原点が桃山学院大学での学びや経験であってほしいと願います。

チャプレン 宮嶋 眞

本学チャペルは、以下の時間、どなたでもお越しいただけます。
心静かに祈る時間はあなたの”魂の養い”のときとなることでしょう。ぜひお越しください。

平日 9:00~17:00(土日祝休み)

秋学期終業感謝礼拝の様子