2019年度 卒業証書・学位記授与式式辞
皆さん、ご卒業おめでとうございます。ご家族、ご親戚、関係者の皆様、おめでとうございます。桃山学院大学の教職員を代表いたしまして、心よりお祝い申し上げます。
この度は新型コロナウイルス感染症の影響のため、このような卒業式となりました。1日も早く平穏な日々が戻ることを祈っております。
さて、皆さんの多くはこれから社会に出て働かれますが、今、社会ではAIをはじめとする技術革新が急速に進んでいます。そのため、社会のあらゆる仕組みがかつてなかったほどのスピードで大きく変わってきています。これからこのような社会で生きていく皆さんに、今日は次のメッセージを届けたいと思います。
「わがまま」に生きてください。
ここできっと、「えっ?わがままに生きるって、どういうことですか?」と思った方が多いことでしょう。そこで、この「わがまま」の意味を説明するために、バングラデシュのある人の話から始めたいと思います。
今から約50年前の話です。その人はアメリカの大学教員でしたが、母国バングラデシュの独立戦争をきっかけに国に帰ることにします。そして、バングラデシュの大学で経済理論を教え始めます。その2年後、1974年から1975年にかけてバングラデシュで大きな飢饉が起こります。彼は飢饉から人々を救うために、いくつかの農業プログラムに取り組みます。プログラムは大成功。収穫高は一気に増えます。ところが、自分の周りの最も貧しい人々をみたとき、その暮らしは一向に改善されていませんでした。なぜ、貧しいままなのか?疑問に思った彼はその理由について調査するうちに、ある一人の女性から話を聞くことになります。
彼女の夫は日雇い労働者で1日働いて約10円の稼ぎでした。そこで、彼女は家計を助けるために、竹を編んで椅子を作って売ります。その椅子は見事な工芸品レベルのものでしたが、どれだけ作っても貧しい生活から抜け出すことはできませんでした。なぜならば、材料の竹を買うためには現金が必要で、そのお金を地元の金貸しから法外に高い利息で借りていたためです。しかも、お金を借りる条件が、作った椅子をその金貸しに、金貸しの言い値で売ることだったのです。そのため、1日中椅子を作ってもたった5円ほどしか稼げませんでした。これはあまりにも不公平な取引ですが、当時、この様なことがその村では当たり前だったのです。
その話を聞いた彼は、この高利貸しによる犠牲者があとどれくらいいるのか、学生と共に調べました。その結果、42世帯が、合計で数千円を借りて苦しんでいることがわかりました。彼はすぐにポケットからお金を差し出し、その42世帯を救います。このように貧しい人々は、ほんのちょっとの借金の、高い利息のために苦しんでいたのです。
次に、彼は大学構内にある銀行に出向き、貧しい人々にも適正な利息で融資をするように説得します。しかし、銀行の答えはNOでした。担保も持たず、字も読めない貧しい人々は顧客として信用できないからということでした。それが銀行のルールだったのです。そこから彼は、貧しい人々の借金の保証人になるなど、色々なことに取り組みます。協力的な銀行も現れます。しかし、いずれも抜本的な解決には至りませんでした。そこで、ついに彼は貧しい人々のために、従来の銀行とは全く異なる銀行を自らの手で創ろうと決意します。それは貧しい人々にとって必要なわずかなお金を適正に融資する、担保は不要、字が読めない人のために法的な文書も不要、そんな銀行です。政府と何度も何度も交渉した結果、1983年、ついにその銀行は生まれます。この銀行は、貧しい人々にお金を施すことを目的にはしていません。貧しい人々が自律的に生活を改善することを目的としたビジネスであるため、適正な利息もとります。今では約2500余りの支店を持つなどビジネスとして発展し、そして今でも多くの貧しい人々の生活を支え続けています。
もうお気づきの方がいると思います。彼の名前はムハマド・ユヌス、銀行はグラミン銀行です。ユヌスはこのグラミン銀行のことで2006年にノーベル平和賞を受賞しました。ユヌスの話には多くの素晴らしい点がありますが、特に気付いてほしいのは、彼がルールや慣習に頼らずに、むしろ貧しい人々を支えたいという一心からルールや慣習を乗り越えて、自分の思いを実現させたという点です。これこそが、今日、皆さんに伝えたい「わがまま」なのです。
先ほども言ったように、今、社会は急速に変化しています。そのため、明文化されたルールや制度が現実に追いついていない状況です。このような変化の社会においてものごとを決める時、「それはルールだから」という理由だけで判断していたら、進むべき道を誤ってしまうでしょう。変化の時代だからこそ頼るべきは、自分自身の中にある感性なのです。勘違いしないでください。決してルールを無視しようと言っているのではありません。ルールや慣習に頼り切って自分で考えることを怠ける、そんなことはやめよう、まずは自分の心の声に耳を傾け自分の頭で考えよう、と言っているのです。このとき、自分の感性を高め、自分がなすべきことは何かを真剣に考える日々の努力が必要であることは言うまでもありません。
かつてドイツ生まれの小説家ヘルマン・ヘッセは次のように言いました。“私が非常に愛している唯一の美徳がある。その名をわがままという。わがままな人は自分の心のままに従う”。そして、そのように生きた人の一人として、イエス・キリストの名前を挙げました。
自分の感性に従って考え行動するとき、責任を背負うことになるので勇気がいりますが、自分に嘘をつかない誠実な生き方を手に入れることができるでしょう。これから変化する社会で、どうぞ、わがままに生きてください。そして地域で世界で人を支えてください。桃山学院大学の卒業生ならば、きっとできると信じています。頑張ってください。
2020年3月17日
桃山学院大学 学長
牧野 丹奈子