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2022.10.4
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2022年度秋学期始業礼拝を執り行いました
9月26日(月)、本学聖救主礼拝堂(チャペル)において2022年度秋学期始業礼拝を執り行いました。
秋学期を迎える学生の皆さまに、宮嶋チャプレンからメッセージをお届けします。

泣くこと、涙を流すこと


 皆さんは最近泣いた経験がありますか?
笑いすぎて、、、花粉の影響で、、、バーベキューの煙、玉ねぎを剥いているとき、また感情が高ぶって泣くこともあるでしょう。コロナウィルス感染症の流行の中では人と人との関わりが薄くなり、涙を出す回数も減ってきてはいないでしょうか。涙にはコルチゾール(ストレルホルモン)を低下させる作用があると言われていて、泣いた後なぜか心がすっきりするのはそのせいかもしれません。泣くことで副交感神経系が働くようになり、リラックス効果もあると言われています。感情を表に出すことで、自分の本当の気持に気づき、自分をより深く理解する助けになることもあります。泣くことで自分を解放することもできます。自分の気持ちにフタをしてしまわないことも大事なことのように思います。
私自身、生来の楽観主義者で、日常よく笑うのですが、逆に泣くことも多かったように思います。小さいときはよく泣いていたようです。
  中学生の時、掃除当番を代わった、代わらないで友達と言い争いになり、そのことで担任から職員室に呼び出されました。「自分の記憶は間違っていない、当番の交代など引き受けた憶えはない」と答えましたが、同時にそんなことで争いたくないと思い直し、担任には、罰当番は自分がしますと答えました。その時不覚にも涙を流していました。その学期の終わりの通信簿の担任のコメント欄に、私が感情的になりやすいと書かれてありました。 それが嫌で、人前では涙は見せまいと思ったこともありました。
  大学生の時、2才年上の大学生で、教会の活動の中で、聖書の学び、奉仕活動で私を導いてくれていた人が、バイクの交通事故で即死するという事件がありました。私にとっては身近で親しく、大きな影響を受けていた兄のような存在の人が亡くなったことは本当に辛い出来事でした。しかしこの非常にショックな出来事を前にして涙を流した記憶はありません。むしろ、涙を流す他の仲間たちを前にして、泣かない自分がひどく冷たい人間のようで、素直に泣けばよいのにと思うこともありました。
  それから50年以上が経ち、たくさん泣いたし、笑っても来ました。今日読んだ4つの聖書の内、最初の3つには泣いている人が出てきます。
①生活の苦しみの中で流す涙。「涙と共に種を蒔く人は、喜びをもって刈り入れる。」(詩篇26:5)
②イエス自身が涙を流した。(Jesus wept)(ヨハネ福音書11:35)。これはラザロというイエスの友人が死んだときのお話。聖書の中で一番短い節として有名なところ。
③イエスが理不尽な死をとげたときの情景。これはこの手紙の作者の想像も入っているとは思いますが(ヘブル人への手紙5:7) そして最期?は
④神がすべての涙をことごとく拭い去ってくださるという約束。(ヨハネの黙示録21:3-4)
  結論は、「一生懸命生きて、大いに心を震わせましょう」です。涙が出ても良い。出なくてもよい。心震わせながら生きているから、愛があるから、愛の別名、愛の結果、それが心震える体験であり、悲しみであり、涙なのだと思います。最終的に、④の「神は自ら人と共に居て。その神となり、神はその涙をことごとく拭い去ってくださる」という安心できる一言があります。 だから安心して進みましょう。
  この学期の皆さんの健闘を祈ります。

チャプレン 宮嶋 眞

学期期間中には、毎週月曜日と金曜日 12:40~13:00頃に「昼の祈り」を行っています。
パイプオルガンの伴奏とともに聖歌を歌い、説教を聴き、心静かに祈る時間は、あなたの”魂の養い”のときとなることでしょう。
ぜひお越しください。

礼拝の様子

オルガン奏楽の様子