社会学部社会学科の学生3人が2月下旬、能登半島地震の被災地・石川県輪島市でボランティア活動に取り組みました。地域の課題解決に取り組むフィールドワークの授業でお世話になった公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)が輪島市に開設した施設を拠点にして、仮設住宅で暮らす被災者に寄り添い、異年齢のボランティアとの交流などを通じて、被災者支援の在り方や今後の防災対策、災害からの復旧・復興について考えました。
活動に参加した、木田さん、坂根さん、廣田さん(いずれも社会学科)
活動に参加したのは、新3年次生の木田隼翔(はやと)さん、坂根陽南太(ひなた)さん、廣田晃介さん。3人は1年次の夏に大学の授業の一環として鳥取県南部町のJOCA南部でフィールドワークに参加。能登半島地震発生後の2年次にもフィールドワークに参加した木田さんが、輪島市でのJOCAのボランティア活動を知り、坂根さん、廣田さんを誘いました。
JOCAは青年海外協力隊員として途上国支援に参加したOB・OGが経験を活かして、国際交流や国際協力事業、日本国内での地方創生や地域活性化、災害復興支援などに取り組んでいます。JOCAと関係が深い社会福祉法人佛子園(石川県白山市)と協力し、能登半島地震被災地での復興支援活動も進めています。
JOCAは青年海外協力隊員として途上国支援に参加したOB・OGが経験を活かして、国際交流や国際協力事業、日本国内での地方創生や地域活性化、災害復興支援などに取り組んでいます。JOCAと関係が深い社会福祉法人佛子園(石川県白山市)と協力し、能登半島地震被災地での復興支援活動も進めています。
進んでいない復旧・復興
木田さんは「テレビや新聞で見るだけではなく、現地で、なにか人のために動きたい」、廣田さんは「2018年の大阪府北部地震では大阪府豊中市の自宅の家具が倒壊。以前から災害ボランティアに取り組みたいと思っていました」と現地入りの思いを語り、高知市出身の坂根さんは「南海トラフ地震がいずれ発生すると言われており、災害発生後にはどんなことが起こり、復旧・復興に向けて何が必要なのかを知りたい。卒業後、高知に戻って役立てたい」と被災地で学ぶことを目指していました。
活動に参加した3人は、様々な想いを持って能登へ向かいました
3人は2月23日、金沢市からバスで輪島市に向かいました。外国人観光客も多く、にぎやかな金沢市から北上するに従って、屋根にブルーシートが被せられている家屋が増え始め、倒壊したままの建物や倒れた神社の鳥居など、震災の爪痕が増えていきました。輪島市では震災後の火災で全焼した輪島朝市の一角に衝撃を受けたそうです。廣田さんは「1年以上たった今も焼け野原のままで、復興は手付かずでした。ひと目で悲惨さを痛感しました」と話します。
被災から1年以上が経過してもなお、復興の進まない現地の様子に言葉を失った(木田さん提供)
木田さんが出会った輪島塗の企画・販売をする会社の経営者(40歳代)は事務所が全壊し、仕事を再開できていません。「ネット販売で事業を再開しては?」との問いに、「『輪島塗の良さはネットでは伝わらない。ここ(輪島)に来て、漆器を見てもらいたい』と言われ、輪島塗への愛を感じました」と木田さん。町の復興が伝統産業の復活のためにも重要なのに、なかなか進んでいない現状がありました。
心の復興が課題
3人は協力隊OB・OGらと二人一組になり、輪島市内の仮設住宅を回り、見守り支援に取り組みました。まだ膝あたりまで積雪が残る寒さの中、最初は心の距離を感じる場面もあったそうです。坂根さんは「高齢の女性が、最初は固い表情で出てこられました」と振り返ります。「それでも話しているうちに笑顔が増え、『ボランティアが来てくれるお陰で暮らせている。幸せやわ』と言われました。こういう見守り活動の意味が確かにあると感じられました」と手ごたえを語ります。
寒空の下、仮設住宅を一軒一軒丁寧に訪問した
仮設住宅は家族数などで間取り、広さに違いがありますが、もともと大きな住宅に住んでいた地元の方にとっては手狭です。廣田さんは「一人暮らしの60歳代の女性は、『元の自宅の玄関ぐらいの広さしかない。掃除は楽だけど、ストレスがたまる』と訴えていました。やはり仮設住宅の狭さに困っている方が多いです」と言います。また、集落ごとにまとまって一か所の仮設住宅に移れるわけではなく、知人とは別の仮設住宅に入居し人間関係が少なくなり地域コミュニティから切り離されてしまう問題も深刻化しているようです。
まだ仮設住宅に入れず、体育館の避難所で生活している人がいる状況ですが、仮設住宅の人間関係の希薄さから早く公営住宅に入居して落ち着きたいという思いの被災者も少なくありません。木田さんによると「50歳代の独居の女性は震災前の病気のために失語症を患っておられ、うまく話せないために周りの住民との人間関係に辛さを感じておられるようでした。ゆっくりしゃべっているうちに泣かれて、『早く公営住宅に住まわせてほしい』と訴えていました」と、被災者の苦境に触れた経験を振り返ります。
廣田さんは「80歳代の男性は自宅が全壊し、家族との思い出の品や写真も取り出すことが出来なかったそうです。趣味の釣りの話では明るい表情も見せてくれましたが、すぐに沈んだ表情に戻ってしまい、心の傷が大きいことをひしひしと感じました」と言い、「『自宅の玄関ぐらい』と仮設の狭さを話した女性も、震災前の思い出を話すと涙を流され、心の傷を癒すのは容易ではないと感じました」と振り返り、3人は「町の復興も大切ですが、心の復興がとても重要だと思います」と声を揃えます。
まだ仮設住宅に入れず、体育館の避難所で生活している人がいる状況ですが、仮設住宅の人間関係の希薄さから早く公営住宅に入居して落ち着きたいという思いの被災者も少なくありません。木田さんによると「50歳代の独居の女性は震災前の病気のために失語症を患っておられ、うまく話せないために周りの住民との人間関係に辛さを感じておられるようでした。ゆっくりしゃべっているうちに泣かれて、『早く公営住宅に住まわせてほしい』と訴えていました」と、被災者の苦境に触れた経験を振り返ります。
廣田さんは「80歳代の男性は自宅が全壊し、家族との思い出の品や写真も取り出すことが出来なかったそうです。趣味の釣りの話では明るい表情も見せてくれましたが、すぐに沈んだ表情に戻ってしまい、心の傷が大きいことをひしひしと感じました」と言い、「『自宅の玄関ぐらい』と仮設の狭さを話した女性も、震災前の思い出を話すと涙を流され、心の傷を癒すのは容易ではないと感じました」と振り返り、3人は「町の復興も大切ですが、心の復興がとても重要だと思います」と声を揃えます。
被災した人の心に寄り添いながら、丁寧に話を聞いた。 『ボランティアが来てくれるお陰で暮らせている。幸せやわ』 この一言は、忘れられない。
協力隊OB・OGから学ぶ
学生3人以外は、青年海外協力隊の活動を経験した30~70歳代の方々で、JOCAや佛子園が活動する輪島市の拠点で寝起きを共にしながら見守り支援に取り組みました。坂根さんは「仕事を通じて得た知識が豊富で、皆さんの知見がすごく深いです。大人と話す機会があまりなかったので、いい経験になりました」と話します。
木田さんは「看護師の元協力隊員の方は、被災者との何気ない会話の中から病気のことなども深く聞き出していて、コミュニケーション力の高さに驚きました」、廣田さんも「アフリカ・モザンビークの現役隊員の方は、政情不安のために一時帰国中に輪島に来られていましたが、過酷な環境で暮らす方に寄り添う『器』の広さを持っておられました。海外暮らしの経験からどんな状況にも柔軟に対応できる視点が参考になりました」と協力隊経験者からの学びを実感していました。
受け入れていただいたJOCAの方からは「ボランティアを受け入れることは現地にとって負担にもなり得るので、1回だけでなく継続的に来てほしい」と言われたそうです。貴重な経験を積んだ3人は「知って終わるのではなく、現地に貢献することが大切だと痛感しました」と語ります。今後も被災地との縁はつながりそうです。
受け入れていただいたJOCAの方からは「ボランティアを受け入れることは現地にとって負担にもなり得るので、1回だけでなく継続的に来てほしい」と言われたそうです。貴重な経験を積んだ3人は「知って終わるのではなく、現地に貢献することが大切だと痛感しました」と語ります。今後も被災地との縁はつながりそうです。
春からは、再び勉学に励む日々。学びながらも、心はいつも能登にある。